Dあおげば尊し

僕が「ピアニスト」だけではなく、「古典」「数学」「英語」の講師も仕事としていることは、このブログの最初の記事に書いた。
「生徒さん」の中には、「受験生」もいて、無事「入試」も終え、明日「卒業式」を迎える。
最近の卒業式では、色々な歌が選曲されているようだが、僕は「卒業式」と言えば何と言ってもこの曲だと思う。
自分自身の「卒業式」も懐かしく思い出しながら、巣立って行く彼らに「昔ながら」のこの曲を送ろう。
みんな、卒業本当におめでとう。
[VOON] あおげば尊し
DCome back to the Era called Be-Bop

今日ご紹介する曲は、今までとちょっと嗜好が違う。
タイトルは"Etude"。
「練習曲」と言う意味だ。
「ジャズのピアノプレーヤー」が普段どういう「練習」をしているか、お目にかけたいと思う。
「練習」だから、ミスタッチであるとか、リズムが乱れているとか、そう言う部分もあるが、あえてそのままにしておいた。
「ジャズは即興」と言うが、これには2タイプがあると思う。
先日、発表した「与謝野晶子」の曲が、「完全即興」・・・つまり、あらかじめ「曲の構成」や「メロディー」「ハーモニー」などを一切作らず、いきなりピアノを「思いつくままに」弾いたものに対して、今日の"Etude"は同じ「即興」でも、またっく異なるアプローチをしている。
要するに、「ハーモニー」などはあらかじめ「ある程度出来上がっており」、それに合わせて「アドリブ」で「メロディー」を弾いたと言う事だ。
その、「メロディー」も、全くの「自作」ではない。
「リック」と呼ばれる「短いメロディー」をあらかじめ「暗記」しておいて、それをパズルのように組み合わせて行くと言う方法だ。
その「リック」をどれだけたくさん知っていて、使いこなせているか・・・これがピアノに限らず「ジャズ」を演奏するものにとっては大変重要な「能力」だし、精魂を傾けて「練習」する事柄の一つだ。
本日は、「テーマ」を決めて、「リック」の練習をしたものを、そのままお届けしたい。
そのテーマとは「1960年代」の「ジャズスタイル」。
この時代の「ジャズ」はよく"Be-Bop"と呼ばれ、「ジャズの歴史」の大きなエポックだった。
「この時代」のスタイルで練習することは、とても有意義に感じるし、今回に限らず、時折「練習」している。
「リック」もこの時代に好まれた「メロディーのフレーズ」の中で、僕が「暗記」しているものを羅列した。
「ふーん、こんな風に練習してるのか」と、僕の「ピアノの部屋」を想像していただけたら幸いだ。
また、「ジャズ」を演奏する方は"Be-Bop"のエッセンスを稚拙ながら詰め込んだつもりなので、"Be-Bop"の特徴について感じ取っていただけたらと思う。
[VOON] Etude
Dピアノクインテット

今日ご紹介する一曲は、「ピアノソロ」ではない。
「ピアノ」と「弦楽四重奏」とが一緒に演奏した、「ピアノ五重奏」だ。
他の楽器と合わせる事になるので、「完全に即興」ではなく、ある程度「楽曲」を作り込む事になる。
そもそも、この曲は昨年の夏、コンテストに応募する為に書いたもので、当初は「刹那に移ろいながら遠くなっていく、夏の空に思うのだ」と言うタイトルだった。
いいタイトルが浮かばなかったので「頭の中で思いついた言葉」を適当につなげたものだ。
このように「クラシックな」スタイルの曲を書くのは、久しぶりだったし、「演奏」も「ドラム」「ベース」といった、僕がよくセッションする楽器ではなく、「バイオリン2本」と「ビオラ」「チェロ」と合わせる事になるので、すべてのパートの作曲と合わせて、一生懸命にやったことを思い出す。
[VOON] 刹那に遠くなって行く、夏の空に思うのだ。
Dみだれ髪 晶子が残してくれたもの

与謝野晶子と言えば、「君死にたまふことなかれ」があまりにも有名で、「国語」よりも「社会」の教科書でお目にかかることが多くなった。
もちろん、表現の自由が「絶対の権利」として認められていなかった明治憲法下で、国家が主導する「戦争(日露)」に、真っ向から反対する歌を詠んだのだから、どんな状況にあっても「正しい事を正しい」と言える立派な女性であるし、心から尊敬している。
晶子の価値はそれだけではない。日本文学の最高峰「源氏物語」を初めて口語訳したのも彼女である。
その仕事に敬意を表し、この訳を「晶子源氏」と呼んでいる。
「源氏」は、他にも数々の作家が現代語に訳しているが、「晶子源氏」は、千年前の「文学」を「補うべきところは補い、削るべくは削って」、思い切った「意訳」を試みた事でも有名である。
「源氏物語」を勉強する際、文語文法に従い「直訳」も学ぶが、「晶子がどう訳したか」が大変重要視されている。「現代人」の僕たちに「素晴らしい財産」を残してくれたと言えよう。
しかし、晶子が真にその「才能」を発揮しているのは何と言っても「短歌」であると思う。
ちなみに「短歌」とは、それまでの「和歌」と言う呼称が「古くさい」として、夫「鉄幹」らが新たに作った言葉。
そして晶子は、その「短歌」の天才。
清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
歌集「みだれ髪」の中で、僕が最も好きな「短歌」だ。
何と言っても、その「たたずまい」が本当にフレッシュで奇麗だ。
「愛しい人、鉄幹」に合うために、清水に急ぐ晶子。「桜」も「月」もみな恋しく見えたのだろう。
そして、「すれ違う人々」もみな「うつくしき」印象をうける・・・。
素晴らしい感性に心が自由になる。
今日の一曲はこの歌から感じたものを「完全即興」で弾いてみたものだ。
もちろん、楽譜なんてない。曲を作り込んでは、「瞬間に消えてしまう何か」が表現できないと思ったからだ。
「晶子のこころ」を自分のこころとして弾きたいと思った。
相手は「天才」だから、恐れ多いが「素晴らしい芸術」に触れる事で、自分自身の音楽性を高めていけたら・・・と胸を借りた。
[VOON] 清水へ祇園をよぎる櫻月夜
D過去の自分からの「手紙」

今日、この曲をご紹介するのはとても恥ずかしい。
自分の内面と言おうか、その「現在の僕の心」を作り上げるに至った「成長過程」を、ほんの一部分だがさらけだす事になるからだ。
タイトルは"The Letter"と言うのだが、これは最近名付けた。
つまり、長い間曲名はなかったのだ。というよりむしろ、この曲の存在すら忘れていた。
半年と少し前だっただろうか、「最近、指が動いてないなぁ」とつくづく感じ、昔さんざん練習した「ピアノテクニックの教本」を本棚から引っ張りだした。
その本の中に、古い五線紙が挟まっていたのだ。
見てみると、「習作」と書かれ、音符が乱雑に並んでいた。
筆跡から、間違いなく僕の作品とわかる。
いつ頃書いたのかは定かではないが、楽曲をアナリーゼ(解析)して見ると、わずかながら「対位法」と言う手法が使われている。
僕が、対位法を習っていたのは、ちょうど中学生くらいの頃の様に思う。
また、先述した「テクニックの本」を熱心に弾いていたのもちょうどこの頃だから、おそらく14,5歳の時に作曲したのだろう。
僕が中学生の頃と言えば、すでにJAZZを弾き始めていたし、バンドもやっていたのだが、この「習作」はとてもクラシカルだ。
もしかしたら、「先生」から言われて渋々作ったのかもしれない。
「習作」と言うからには、何かの作品か、作曲家の作風を模倣したのもであるには違いないが、今となっては、その「お手本」がわからない。
せっかくだから弾いてみようと思い立ったのだが、簡単な楽譜の割に、こと演奏となると、とても難しい。
こんな風に「音符の数が少ない」楽曲は、ピアニストの「指」の熟練度がダイレクトに現れてしまう。
何度も、何度も弾き直した。
昔作曲した自作曲が、思う様に弾けない。
これは「過去の自分」から与えられた「課題」だった。
派手に、指を早く動かすことも「ピアニスト」にとっては重要だ。
音楽が「エンターテイメント」である限り、サーカスの様なアクロバティックな演奏も時には必要だ。
ステージがとても盛り上がる。
しかし、本当の意味で、僕が「ピアニスト」になりたいのだったら・・(今、僕は自分の事をピアニストと名乗るほどピアノが上手だとは思わない)、簡単な曲を一音一音にこだわって、相手に伝わる様に弾けなければならない。
しかし、「こだわり」過ぎると独りよがりになってしまう。
難しい課題だ。
「過去の自分からの手紙」。
色々な事を、再発見させてくれた、この「習作」を僕は、"The Letter"と名付けたのだ。
[VOON] The Letter







